【「坂本龍馬肖像」公文菊僊画(「花月」)資料館】
2009年1月1日 長崎新聞掲載より
多くの方がご存知の通り、長崎は「坂本龍馬ゆかりの地」。
来年放送予定の大河ドラマ「龍馬伝」にあわせ、自らの足で遺構を訪ねてみることにしました。掲載写真は随時増やしていきます。
坂本龍馬と岩崎弥太郎(県立歴史文化博物館)
上野彦馬の銅像(県立図書館入口)
諏訪神社
長崎街道ここに始まるの碑
福沢諭吉が使用した井戸
長崎港
天領であった長崎は、外国に門戸を開く唯一の港であったころは
坂本龍馬の主催する「亀山社中」「海援隊」の本拠地となり
維新回転の事業の舞台の一つになった。
別名「鶴の港」と呼ばれ天然の良港であった。
長崎奉行立山役所跡
現在の県立美術博物館の地にあり、ここでは奉行所の内治関係
事務が行われていた。
今、博物館の一部では龍馬の特設展示場として開催されている。
出 島
鎖国時代に218年間「世界に開かれた唯一の窓」として役割を果たしたが
開国後は外国人の居留地となった。
倉田水樋水源跡
倉田次郎衛門が資材を投じ、長崎の人たちの水利の便を図るため
伊良林に敷設した。龍馬もこの横の道を行き来していた。
丸山公園の龍馬像
平成21年11月15日 円山公園に3体目の龍馬像が
建立された。
この像の特徴は、ピストル、懐中時計、ブーツを
身に付けていること。
グラバー邸
グラバー像
グラバーはイギリス人で安政6年(1859年)に来崎し
グラバー商会を設立し貿易を始めた。志士たちへ海外渡航の斡旋や
亀山社中を通じ反幕諸藩と軍艦、鉄砲、火薬等を輸入し、
反幕諸藩と商売を拡げた。
トーマス・グラバーの墓
致遠館跡
長崎に留学していた佐賀藩士の英語教育のために設立された機関で
龍馬や海援隊士も学んだ。
料亭「玉川」跡(写真は近くの大井手橋)
川魚料理で知られていた。
坂本龍馬、海援隊士にゆかりの深い料亭(八幡町)
○ほかに坂本龍馬、海援隊士、亀山社中、志士たちがよく利用した料理屋
◆ 揚屋「小島楼」
亀山社中、海援隊の同士たちがよく遊びに行ったといわれるところ。
(丸山の長崎検番が近くにあった)
◆ 西洋料理「良林亭」
オランダのコック見習いをしていた草野丈吉が薩摩藩士五代才助の
勧めで開店した。
坂本龍馬も通っていたとされる。(若宮稲荷の境内にあった)
◆ 料亭「藤屋」
「花月」とともに坂本龍馬がよく利用した。
西洋料理が名物でグラバーが大のひいきにしていた。
(伊良林1丁目にあった)
◆ 旅館「土佐屋」
岩崎弥太郎の命名で、彼の宿舎でもあった。亀山社中の同士も
一時期ここに宿泊していた。(今博多町にあった)
料亭「一力」
二代目カネは志士と交友があり、坂本龍馬、高杉晋作、
久坂玄瑞、井上馨らが来遊している
料亭「清風亭」跡
土佐藩参政の後藤象二郎と土佐を脱藩した坂本龍馬が始めて会談し
大政奉還・倒幕ともにすすめた。
現在の観光通り吉宗の近く。
長州藩屋敷跡
元治元年(1864年)蛤門の変で長州藩敗戦に伴い長崎奉行に
没収されている。
現在の長崎自治会館。
木下逸雲宅跡
逸雲は八幡町乙名を勤め、南画家として活躍した。
画業の他医術・茶道・管弦などに通じ、長崎の代表的な
文化人で亀山焼の復興に尽力した。
十所は中島川に架かる高麗橋の付近にあった
木下逸雲の墓
竜馬通りの中ほどにある禅林寺境内にある
若宮稲荷神社境内に建つ坂本龍馬像
地域の関係者で建立された2体目の像である。
上野彦馬宅(長崎上野撮影局)跡(1)
上野彦馬宅(長崎上野撮影局)跡(2)
上野彦馬は
海軍伝習所医官・オランダ海軍軍医ポンペから科学を学び
フランス人写真家ロッシュから写真術を習ったのち
文久2年(1862年)わが国で始めての写真師として
中島川畔に写真館を開いた。
新しく開館した亀山社中
新しく開館した亀山社中の内部
亀山焼窯跡(1)
亀山焼窯跡(2)
南画家の木下逸雲が支援したので名陶と言われるまでになり
亀山社中の同志たちの居場所となった
若宮稲荷神社
亀山社中の同志がよく参詣したことから
勤皇志士神社と呼ばれている
聖福寺
慶応3年(1867年)「伊呂波丸事件」で土佐藩の後藤象二郎
紀伊藩の茂田一次郎が会談し、イギリスの水師提督に調停を依頼した寺
後藤象二郎邸跡
テレビ長崎(KTN)のところにあった。
土佐藩大監察の後藤象二郎は、慶応2年藩の推進や艦船・武器調達のため
長崎に来ていた。坂本龍馬と親しかった。
小曽根邸跡
地方財務局のところにあった。
亀山社中・海援隊の後援者でもある小曽根栄四郎の屋敷で
亀山社中・海援隊の本部もあった。
料亭「花月」
坂本龍馬、高杉晋作らが良く遊んだといわれる料亭
大広間の床柱には、龍馬が酒に酔って切りつけたという
刀痕がある。
海軍伝習所跡
長崎県庁敷地内にあり亀山社中・海援隊の事業の
ひとつであった。海軍の前身といえる。
シーボルト宅跡
西洋医学の祖、アジサイの花を愛人であったお滝さんの
名前をとって「おたくさ」と名づけた事でも知られる。
近藤長次郎の墓
亀山社中きっての敏腕といわれ、グラバーから
軍艦「ユニオン」の購入に成功。薩長同盟実現に
活躍したが自刃し29歳で悲劇の死を遂げた。
皓台寺山門
慶応3年(1867年)「伊呂波丸」事件で、龍馬と
紀州藩士高柳楠之助との談判の場所に使われた。
大浦お慶
わが国初の製茶貿易業で財をなし、志士たちを
経済的に援助した。
土佐商会跡(現 くろがね橋際馬場家具店付近)
土佐藩屋敷跡(現 協和銀行長崎支店)
薩摩藩屋敷跡(現 三菱銀行長崎支店)
司馬遼太郎「龍馬がゆく」文学碑
坂本龍馬の像
平成元年5月21日「龍馬の銅像ば建つうで会」が建立
上野彦馬の墓地
日本の歴史上に登場する著名な内外人の肖像写真を撮影していた
龍馬通り
龍馬が通っていた坂道
亀山社中跡
日本最初の貿易商社だった
龍馬のブーツ
平成7年10月28日に「亀山社中ば活かす会」が建立
勝海舟寓居の地(現 本蓮寺)
海軍伝習所の伝習生首班であった勝が4年間居住していた
大村藩屋敷跡(現 中町教会)
坂本龍馬の僚友「渡辺昇」や志士「松山飯山」などが出入りしていた
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